なぜこんなところに人が住み続けているのか?
友人が移住したのをきっかけに、11月の半ば、わたしは椎葉村に行くことにした。
日本三大秘境のひとつだということは聞いていたけれど、想像をはるかに越える秘境だった。
普段から、様々な地域と関わる仕事をしているのだけれど、島根県の離島に行ったときのことを思い出した。
例えば、コンビニはなく、商店はあっても18時頃には閉まってしまうので、日が出ているうちに食材を買っておかないとご飯がつくれないこと、デパートに買い物に行くのは1日がかりなこと…
新潟出身なので、なんとなく「地方」「田舎」がどんなところなのか理解しているつもりだったけれど、
電車が1時間に1本もないとはいえ、実家から徒歩3分の場所にコンビニがあり、車で5分でスーパーに行けて、デパートも車で15分くらいのところにあったわたしの「田舎観」は覆された。
椎葉村も、離島ではないけれど田舎レベルは同じだと感じ、まさに陸の孤島とはこのことか、と思った。中学校から寮に入る子どももいるというのだから。
さらに驚いたのは、椎葉村に着くまでの道のりだ。
わたしは宮崎市内の方から友人に迎えに来てもらい、車で椎葉村の市街地まで行ったのだけれど、椎葉村に入ってからはそのほとんどが車一台通るのがやっとな細い道ばかりで、何度も対向車と譲り合いながら進んだ。
運転に慣れていない人はきっと椎葉村の市街地までたどり着けないだろう。あとで椎葉の人に聞くと、崖から落ちて亡くなった人もいるようだった。
そこで生まれた問いは、「なぜこんなところに人が住み続けているのか?」ということ。
その答えを探るべく、5日間ほど滞在した。
集落から集落、なんなら家からとなりの家までも山一つ越えないといけないということも驚いた。だから、椎葉村には「集落支援員」というお仕事をされている方がいて、病院に連れてったり、知り合いの家までのおすそ分けを頼まれたりするのだそう。
その集落支援員の方に紹介していただき、生まれてからほとんどを椎葉村で住んでいるという、マスコさんというおばあちゃんにお話を伺った。
上椎葉ダムができ、今はダム湖になっている場所にあった家が全部沈んだこと。テレビが見られるようになったのは他の地域よりずっと遅かったこと。亡くなった旦那さんは山師で、木を運ぶときは川の上を流していたことなど、いろんな話をお伺いして椎葉の解像度は少しあがった。けれど、
「こんなに秘境なのだからなにか特殊な文化が残っているはずだ」と期待してマスコさんに話を聞いていたわたしとしては、秋田の山奥に行ったときほど、特殊な文化が残っているという感じもしなかった。
「なぜこんなところに人が住み続けているのか?」
という問いは、椎葉村から東京に戻ってからもずっと考えていて、2カ月ほど経った今も答えは見つかっていない。また、何時間もかけて、椎葉村に行ってしまいそうだ。
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