恐るべし椎葉村

「なんだか、見たことない感じの村・・・」

椎葉村に入って友だちの家に着くまでに思った1番初めの感想はそれだった。

椎葉村以外の知らない土地や道を通るときでも、この集落はどうやって出来たのだろう?そんなことをついつい考えてしまう。

熊本駅から椎葉村に向かう道中、椎葉村は人口2600人くらいの規模なんだよ〜という話を友だちから聞いていた。

2600人か〜まあまあ人いるじゃん!

と思いつつ、椎葉村に入ると思った以上に家が少なかった。2600人分の家がまとまっているのを想像していた私は、なんだか拍子抜けだ。

「え?本当に2600人?」

思わず友だちに問いかけていた。友達は、意にも介さない風に話を変える。

「僕の家はここからもう少し行ったとこにあるんだよ〜。」

あ、なるほど。家のある集落群が山の中に点在しているのか〜。

そう思い、町の中心地だそうな役場がある場所から車を走らせること10分ほど。

今か今かと友達の家が出現するのを待つけれど、なかなか現れない。

そして、ひとつの急で狭い坂道を登ったところに友達の家があった。

「うわ〜。すごい道だね〜。ここに何軒くらいあるの〜?(10世帯くらいかな〜?)」

「んー、3、4軒?」

「え!3、4軒?いったい2600人の人たちはどこに住んでいるの?みんな、どこかに隠れていたりするみたい・・・」

思わず出た言葉だった。

なぜここに集落をつくったんだろう?これまでに見てきただいたいの山奥の集落は、移動手段が徒歩だった時代に合理的な場所につくられているんだなぁ、と思うことが多かった。

しかし、椎葉村は「合理的」とすこし違うように思えた。

さすが平家の落人が住むと決めた場所。そう思わずにはいられなかった。それだけの山深さと「効率」だけでは済まされない村づくりの跡がみてとれるような気がしたのだ。

話は変わるが、たった2日の短い滞在中に椎葉村でお気に入りポイントを見つけた。

それは車が通らない狭い道だ。

友だちの家から鶴富屋敷あたりまで山道を歩いた。

車がメインの時代になってなお残るこうした狭い道が私はとっても大好きだ。

小さい頃に実家の裏山を探検したあのトキメキを思い出して、いくつになってもあっという間に冒険者になれる。

しかも、椎葉ではこの道を、飲みに行った後の帰り道として利用する人もいると聞いた。

わりと日常の中でこんな道を通るとは、恐るべし椎葉村。。。

「恐るべし椎葉村」で思い出したので記録として残しておきたいが、お昼にふらっと友だちと入ったお蕎麦屋さんでお客さん向けに使われていたお盆が、なんか骨董っぽさがあって素敵だった。

お店の方に聞いてみたところ、うろ覚えだが100年は経っているものだった。

写真を撮り忘れ、この記事で共有できないことを悔しく思うほどに味わいのあるお盆だった。

普通のお蕎麦屋さんで気軽に骨董もののお盆で食事を提供されるとは。。。恐るべし椎葉村。。。

椎葉「村」と言えども、車で1時間走らせてもなお続くほど村の範囲が広いのだそうだ。

私がたった2日で目にした椎葉村はきっと10分の1にも満たないのだろう。

また行って不思議なところ探したいなぁ。

恐るべし椎葉村って思いたいなぁ。

そう思わせてくれる不思議な場所だった。

また来ようと思う。楽しい2日間をありがとう椎葉村。

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