椎葉の人は百面相①~牛飼いの久喜さん~前編

椎葉村に引っ越して3か月。少しずつですが知り合いも増えてきました。村の人に出会って驚いたのは、一人一人がいろんな顔を持っていること。神楽の舞い手だと思っていた人がガソリンスタンドで働いていたり、牛飼いだと思っていた人が神主をしていたり、役場職員だと思っていた人が家では椎茸を作っていたり。同じ人なのに会うたびにその人の違う一面が出てきて、一体いくつの顔を持っているんだと。椎葉の人はまさに百面相。このシリーズでは百の顔を持った椎葉人にスポットライトを当て、その人のいろんな顔を紹介していきます。


椎葉村尾八重(おはえ)。昔はこの地区でも神楽を舞っていたのだが、今では住む人も少なくなり行われていない。

椎葉の細い道から川沿いのさらに一段と狭い道を登って行くと電波も届かなくなってくる。

木が茂っていて光もあまり入ってこない道なので少し不安になりながらも登っていくと、無邪気にはしゃぐ犬のゴンが迎えてくれて気が和らぐ。

「おお早かったなあ!」ゆっくりだけど力強い声で呼びかける。ここに住むのは御年86歳の久喜(ひさき)さん。

奥さんの久子さんは「大変だったでしょう。」といつも優しい声をかけてくれる。

家のすぐ真横には牛が10数頭いて鼻輪に紐を結んで繋がれている。中には数頭の子牛も混ざっていて彼らは繋がれず牛舎で自由にしている。

久喜さん夫婦は牛の繁殖をしている。雌牛を数頭飼い種付けをして子どもを産ませ、子どもが1歳くらいになったら2か月に1回行われるセリ市場へと出荷する。

出荷された牛は他の地域で育てられて肉牛になる。中にはブランド牛になっていく牛たちもいるそうだ。

椎葉村で牛を飼っているのは繁殖をしている人がほとんどなので、椎葉で育った牛を口にできる機会はほとんどない。いつか食べてみたい。


久喜さんの家に来ると大体最初にお茶をいただく。家の中にある写真を見ていると、牛が川辺で放牧されている白黒の写真が1枚飾られていた。

いかにも民俗学の本とかに載っているような雰囲気の写真だったので「昔はこんなところで放牧していたんですね」と尋ねると、なんと「今もそこでやっておる」とのこと。

これから放牧しに行くというので見に行くことにした。

繋がれた紐を解き、牛舎の入り口を開けていくと10数頭の牛たちは列をなして自ら放牧場へと小走りで向かっていく。

大きな体の牛が軽快に体を動かすのを見ると、人間には勝ち目がない・・と思い少し怖かった。

歩いてすぐの放牧場へ行くとそこにはさっき写真で見たのとまったく同じ光景が。日本にこんな風景がまだ残っていたのか。

昔の写真とか、アジアの少数民族が暮らす山奥でしか見られないと思ってい景色が目の前に広がっていてとても興奮した。

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